COLORS
 essay2


 

先日、ふと読んだ とある雑誌のコラムに今年のアカデミー賞についての 記事が載っていた。 アカデミー史上初めて黒人女優に主演女優賞、40年ぶりの黒人主演男優賞。 しかし、その役どころに問題があるとかないとか。つい先日も白人警官がまたしても無抵抗な黒人少年に暴力を振るったともニュースで報じていた。

・・・だけど、そういう記事などを目にして、いつも思うんです。
私は、幸か不幸か、白人でもなく黒人でもないので、ダイレクトに心に沁みてこないな、と。

黒人ラッパーの歌詞だって、彼ら自身の気持ちを歌っているからこそ、支持を得ているのだろう。 (もちろん日本にもいろんな差別問題はあるけれど)でも、そんな私にもそういう人たちのシチュエーションに似た体験をした事がある。それを、この記事を読んで思い出した。

まだ19歳の時、私は学校の自由参加のツアーでパリに行った。 添乗員さんに連れられるままにとある宮殿の敷地内の建物(確か)に入ろうとした所、ものすごい勢いで後ろから腕をつかまれ、ひっくり返りそうになった。 振り向くと金髪のおばさんがかなりの剣幕で私に喋りまくっている。 フランス語だからさっぱりわからなかったけど、雰囲気で「あんた!入場料前払いなのにタダで入ろうったってそうはいかないわよ!!」 というような事を言っているに違いないと思った。。。(私ってばか)「なによぅ、そんなに怒らなくたっていいじゃない〜!知らなかったんだから〜!!」 と、心の中でぶーぶー言いながらも、私はとっととお金を払った。おばさんはまだ怒りが収まらないような様子で、ぶつぶつ言いながらお金を受け取りカウンターに戻っていった。。。

・・・よく、フランス人はプライドが高いとは聞いていました。(よね?) でもパリのオープンカフェでは、たどたどしい英語で「もう少ししたら空きますのでお待ちいただけますか?」と笑顔で対応してくれたウエイターもいた。必ずしもすべてのフランス人がそうだという訳ではないのでしょうけど「あぁ、差別ってこういう事かな!?」って思いました。 だけど、もし、私が自分の人種に対して、ものすごくプライドを持ちづらい環境に育っていたなら・・・

3つ子の魂100まで、じゃないですが、植え付けられた先入観は自己の力で拭うという事はきっと私が拭わなくてもよいのと同じくらいに難しい事なんでしょうね。(もちろん腕をひっつかんだおばさん側に対しても)もしも、私が、普段から差別というものを当たり前に受け取っていたのなら、腕をつかまれたその瞬間にもう「あぁ、またか」と感じたはず。(それがどのような感情なのかは、私には計り知れないけれど。)だけど、私はあの瞬間、何が起こったのかはじめのうちはさっぱり分からず、後ろでもめてた人たちに巻き込まれたのか?と思ったほどです!あれは、いろんな事を考える機会を与えてくれた貴重な経験でした。。。


     ♪   肌の色が違うくらいで何が違うっていうの?   ♪


・・・こんな類の歌をよく耳にします。 ほんとうに、私もそう思うのだけど、やはり私がそう感じるのと同じ位の強さで、誰かはそれに反発するのでしょうか・・・私はクリスチャンではないですが、神様がもし存在するのなら、そういうハードルをクリアさせるために、神様がわざと与えたカラーなのかもしれませんね。。。


(*ちなみに、アカデミー賞について、いろいろ語れるほどたくさんの映画は観てないですが、 私の観てきた数少ない大好きな映画「コリーナ・コリーナ」の中で、 黒人の女の子と白人の女の子が二人で歌を歌うシーンがあります。 二人は楽しそうに♪私はバニラが好き♪♪私はココアが好き♪と歌いながらお互いのほっぺにキスするんです。かわいいシーンではあるけど、いつかそういう描写も懐かしく思えるような日が来ればいいのにな、と思います。)(essay2)



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