知らぬが仏
essay4
・・・読み返したら今までのessayと文体が違うような・・・ま、いっか・・・
・・・時々、私でも振り返ってみたりする事がある。自分の人生について(笑)・・・いや、結構まじめなんですけど、結局行き着くところは「まぁ、いろんな人間がいるんだから、いいじゃないか」・・・私にはそれ以上の答えが今の所見当たらない。
そして、その裏には昔の自分のエピソードも潜んでいる。きっと、誰もがそういう部分を持ち合わせているとは思うのだが、私にも繊細で鋭い所や、おおざっぱで鈍い所がある。・・・昔まだ小学1年の時。その学校は1学年が6クラスもあるマンモス校、私の通っていた保育園からその小学校に入学した生徒は7名しかおらず、友達がすぐには出来なかった。しかも、一人遊びが好きだったので、休み時間も絵を描いていたり、かなり大人しい(地味な)女の子だった。給食を食べるのもクラス一遅かったし、通知表には先生から「いつまでもマンガ絵なんか描いてばかりでは困る。給食が遅いのも何とか改善して欲しい」なんて書かれて、当時の私は成績なんかより毎回書かれるそういった言葉がものすごくストレスだった。(ちなみに今は食べるのは早い方。これは健康に良くない。)
そんな子だったので、「いじめっこ」からしたらとてもいいターゲットだったに違いない。・・・遂に標的にされる日が来たのだ。
小学校一年生のある秋の日。運動会の玉入れ用の玉を、個々の親にひとつづつ作ってもらうようにと、先生が生地のサイズが書いてあるプリントを生徒に渡した。その締切日が来たのだ。私は母に作ってもらった赤い玉をランドセルから出そうとした。と、女の子二人がつかつかと私の目の前にやってきて「その玉持ってちょっと来てくれる?」私は特に疑問も持たず、二人についていった。中庭の、ペンキが塗られた切り株の上に、私の赤い玉を乗せた。「今からさ〜、かけっこで勝負して、先にあの玉を取った人が玉の持ち主ね」
・・・・・・・・??
よ〜い、どん!
結果は、想像がつくだろうが、私はきょとんとして一歩も走らなかった。彼女らは赤い玉を持って教室に帰った。
だけど、私はその日以来、彼女らにいじめられなかった。その日先生に「玉、忘れたの?」と訊かれた時に「持ってきたけど、●●ちゃんが今持ってます」と言ったからだ。確か先生は彼女らをこっぴどく叱っていたような記憶がある。
念を押しておくけど、私はいじめられっこに対する耐性があったわけではない。世の中にある「いじめられっこ」と「いじめっこ」というものを何も知らずに育ってしまったのだ。実家は3つの学区が集まっていて、近所の友達も、同じ保育園でもなく、同い年でもなく、学区も違った。例えば団地や街の中心に住んでいる子供達のようにわいわい集える環境にあれば、遊びの中で、喧嘩や仲直りや分け合う事、つまり仲間意識みたいなものが自然に発達するのだろう。私には善くも悪くもそういう部分が欠けていただけの事だ。玉を「忘れました」なんて機転をきかせたような、屈辱的なようなセリフが浮かぶ由もない。
もう一回、他の子にいじめられたこともある。小学校5年の頃。遊びの名前は忘れたけど、鬼が交代するまで一人が靴の片方を鬼から返してもらえないというルール。その時の鬼が学年でも有名な(だったらしい)いじめっこで、私の靴を持っていたのだが、返すべき時になって、にやりと笑い、靴をとんでもない方へ放り投げたのだった。
だけど、彼女からも再びいじめられることはなかった。なぜなら私の頭の中は「???」だらけで、自分の靴を拾いに行き、そのまま教室に帰り、次から彼女に誘われても遊ばなかったからだ。(もしくは誘われなくなったのかもしれない)私は、玉を奪われても、靴を投げられても、みじめになって泣き出す、というような回路もなかった。。。知らぬが仏、かな。
そんな私も成長し(笑)今はさすがにいじめっこの判断はつくようになってきた。大人になったって嫌味な人間はいるものだ。ただ、そういう環境で育ったおかげで、いじめっこにはなりたくない、そういうタイプの人とは距離を置きたいと思えるように。そういう人は得てして自分以外の人を自分の素晴らしさを計る対象としてしか見てない場合が多い気がするから。相手を「上」か「下」にしか見られない。攻撃的なのに打たれ弱い。とても疲れる。。。知っても仏、かな。あな難し。
べつに正義の味方ぶるわけでもなければ、いじめられっこの味方をするつもりもないのです。私がこういう人間であるように、みんな人それぞれなんだよなって思うだけ。昔の私のように、知らないからこそ幸せだった事もあるなぁ、なんて。・・・知りすぎて嬉しかった事だってあるけど。(essay4)
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