桜のような別れ

最近、不思議な、出会いと別れがありました。
前回のblogで「命について考えさせられること」と書いたうちの一つです。
その方(女性)が、先週末、お亡くなりになって、昨日葬儀でした。
・・・出会いは、私があることで相談したい方を探していて、お声掛けしたのがきっかけ。
お住まいも近いということで、なんどかお話していくうちに一緒にご飯を食べたりするようになり、その方は地域猫ちゃんをとても大事にしている方だったので、その子たちのために使うホッカイロが安く売っているところがあると私も買って来ては「郵便受けに入れときましたよ~!」と電話したり。
作りすぎたおかずだから、と「郵便受けに入れといたから、取りに来てね!」と言われることも。

そのうちに、実はお仕事は銀座のママ、ということを教えていただき、お店にも誘っていただきました。
お店でのママは(わたしはママとは普段呼んでませんが・・)いつもの普段着なカジュアルなママとは違って、とってもうるわしくて。
その後もときどき時間があれば銀座のお店に顔を出し、そのまま一緒に帰っては、その足で地域猫ちゃんにご飯をあげるのについていってさよなら、というパターンも。
また、時にはうちに来て飲み会をしたり、時には近所のワインバーでお疲れ様の軽飲みをしたり。
・・今思えば、おつきあいの仕方としては、娘のような、もし異性なら彼のような??
友人や仕事仲間とはまったく違うつながり、、、もしかしてママも、わたしにそういう感覚を持ってくれていたかもしれないけど、とにかく急に知り合った感じがしなくて、とても楽しいひとときでした。

なのに、急に倒れてしまわれて。
しかもその日はわたしは誘っていただいたお食事会の待ち合わせ中でした。
・・現れなかったのです。
時間に来ないなんておかしい・・・まさか、、、と思いつつ、なぜかすぐに警察に通報し、なぜかそれが的中していて、”救急車を手配しましたので”、と。
まるでキツネにつままれたような出来事。
そのまま一週間、意識不明のまま、天国へ召されました。。

その間、ほんとうにたくさんの方々がお見舞いに来られました。
お仕事柄もあるでしょうし、もちろんお人柄もあるのだと思います。
そして、ほとんどの皆さんにお別れを告げたのを確認したかのように、静かに息を引き取られました。
「最期もママらしいね・・」とみなさま涙ながらにおっしゃっておられました。
「娘のようにかわいがってくれた」「息子のようにお世話してくれた」と次々に・・
そんなみなさんの会話で、わたしの知らないママの人となりも垣間見ることができたり・・・

昨日、わたしは仕事だったのですが、毎回地方だったりする仕事場が、昨日にかぎって斎場から目と鼻の先の場所で、参列ができることに。
最後の最後まで、しっかりお見送りでき。。
気丈なママでしたが、とても寂しがりやだったように見えたママ。
わたしもママに呼ばれたのかもしれないですね。

そういうわけで、今年は桜の美しさを眺める余裕がありませんでした。
まるで桜が惜しげもなく花びらを舞わせるがごとく、ママにさらっとさよならを告げられました。
「こんな人生もいいでしょ、ね?」と言ってくれていたらいいな、といまは心から願います。
どなたも口々に「ママはほんとうに何事にも一生懸命まっすぐに生きてた」と。
わたしも最期にはだれかにそう言ってもらえる人生にしたいな、と思います。